以下に引用を挙げます
―ヤポネシアということばは、今までおそらく誰も使わなかったはずです。というのは、私はそれをどこかから借りてきたのではなくて、自分で組み合わせてこしらえたのですから。ヤポネシアというと、おそらく、ポリネシアだとかインドネシア、あるいはミクロネシア、メラネシアなどという名前が頭に浮かぶんじゃないかと思いますが、つまり、それと似たような意味でわたしはヤポネシアということばを使いたいのです。太平洋の地図を見る時、たいていわたしたちは、アジア大陸がまん中になった地図を見るわけですが、それをずらして、太平洋をまん中にして見ますと、まず、当初は何も見えないほどですが、よくみると、ポリネシアなどはもちろんですが、もう一つ似たような島の群れがあり、それに「日本」という名前がついているのです。わたしはいっそのことそれにヤポネシアという名前をつけてみたらどうだろうかというのが、そもそもこの発想のはじまりなのです。
島尾敏雄 「ヤポネシアと琉球弧」より
―ぼくは日本の中に、ある固さが感じられて、それから抜けだしたいというような気がしている。どういう形だと言われると、これもちょっと困るんですけどね......(中略)日本が持っているもう一つの面があるんじゃないかと思ったんです。その面をヤポネシアと呼んだんです。
―大陸の方ばかり目につけてきて、その傾向が本土で主流になって中央集権を作ってきた、そういうものが中心になった日本的なものがあるわけでしょう。それももちろん、日本だけれども、もっと底流するところに、東北もあるんだし、琉球弧もあるんだし、ということを考えはじめて、まあヤポネシアということを言ってみたんですけど......
日本を構成してきたもの、それはいろいろあると思うんです。大陸から朝鮮半島を通って、九州、本州へと広がっているもの。中国の南部に根を有するもの。もっと南に下って、ポリネシア、インドネシアと連続するもの。ぼくは日本にはポリネシア、インドネシア的側面も濃厚にあるんだぞと言いたいわけです。
島尾敏雄 「回帰の想念・ヤポネシア」より
―いままでは日本というものを考える時、弥生時代から展開したものが、中心の役割を果たした日本的なものとされていたのです。
いいかえれば、日本的なものというと何か弥生的なものの上で考えられていましたが、それだけでは日本の可能性というのをせばめてしまうし、日本の底にあるバイタリティー(力強さ)が、見落とされてしまう感じがします。
ですから日本には弥生の他に縄文文化の土台があると考えていけば、その土台は弥生よりも広いわけですし、また弥生文化と縄文文化はそれぞれ違った性格、エネルギーを持っていますので、その両方を共に含み持った日本というものが考えられる。そうすると私達が日本を知る上でも、考える場合でもそのよって立つ地盤というものが広くなると思うんです。
島尾敏雄 「日本列島における琉球弧の意義」より
このような思想に共感を覚えると共に、自分自身がヤポネシアの人間としてありたいという想いを込めて、YAPONESIANを名のっています